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Yuta Tomigashi

「完璧な人間」が、
完璧を捨てた先に得た本質

株式会社KEC Miriz 取締役社長冨樫 優太

  • ため息が出るほどの
    「完璧な人間」

    「完璧な人間」は確かにいる――そう思わざるを得ない。頭はキレるし、仕事でも圧倒的な成果を出す。なのに、さらなる高みを目指して努力も投資も惜しまない。発する言葉の節々に自信をまとっている。おまけにルックスは俳優ばりだ。「神様は不公平だ」なんて愚痴の一つもこぼしたくなるほどの“完成品”。それが、KEC Miriz取締役社長・冨樫優太という男だ。

    だが、冨樫は言う。「確かに自分が積み上げてきたものへの自負はありますが、それは天賦の才によるものではありません。いわゆる叩き上げなんです」。そして、独特の言い回しでこう続けた。「僕は“作られた人間”だと思います」。「作られた」とはどういう意味だろうか。その答えを紐解く前に、もう少しこのビジネス・サイボーグを解体してみよう。

  • ハッキリ言って、
    イヤなやつ

    以前は、大手の塾企業で働いていた。18歳でアルバイトとして入社し、そのまま社員に。もともとかなりの負けず嫌いで、自らを「叩き上げ」と称したように、実際に誰よりも努力したし、誰よりも成果を出した。頑張れば頑張るほど結果が出て、認められ、さらに上のポジションも与えられる。シンプルすぎる弱肉強食の世界で、その頂点に立つべく駆け上がる日々が楽しくて仕方ない。

    ただ、完全無欠に見える冨樫にも実は一つだけ欠点があった。よく「デキる人間は、できない人間がなぜできないか分からない」と言われるが、まさにそれ。自分が努力してきたからこそ、努力が足りないように見える周囲の人間が理解できない。イライラして攻撃的にもなったし、何ならバカにしていた。いや、もうこの際ハッキリ言おう。冨樫は「イヤなやつ」だったのだ。

    自分の能力は、自分の強さを誇示するためのもの。人との関係を「上か下か」でしか計れない。上司にさえ、面と向かって「そんなんだから、成果が出せないんですね」と言い放つ。まさに傲慢にして不遜。当然のように周囲は眉をひそめたが、負け犬がいくら吠えたところで俺は1ミリも困らない。よくもまあ、こんな絵にかいたような俺様キャラが現実にいたものだと逆に感心してしまう。

    しかしそんな冨樫が、なぜKECの門を叩いたのだろうか。「社会勉強のつもりだったんです。他の会社で働いたこともなかったし、違う環境を見てみるのも悪くないかなと思って」。転職するほどの理由も不満も特にない。まあちょっと話だけでも聞いてやるか、それぐらいの軽い気持ちだったのだ。実際、それまで「KEC」の名前すら知らなかったし、面接にも冷やかしのつもりでやって来た。

  • サラリーマンに
    夢なんていらねえよ

    しかしその面接は、思い上がった天狗の横っ面を容赦なく張り倒す。いや正確には、一発もパンチをもらった覚えはないのに、わけが分からないまま気付けばKOされていた感覚と言うべきか。相手は、KEC代表の小椋だった。

    「……は?」。小椋からの質問に、冨樫はそれ以上の反応ができない。それぐらい、視界の外から飛んでくるパンチだったのだ。小椋が投げかけたのは、こんなシンプルな問いである。「あなたの夢は何ですか?」。(は? 夢? ちょっと何言ってるの、この人)。口には出さないが、戸惑いが隠せない。なぜなら社会人になってこのかた約10年、会社の中でそんなワードを聞いたことも、口にしたこともなかったからだ。だいたい、会社は自分がやりたいことをやる場所ではない。「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」をやり、成果を出し、自分の市場価値を高めていく。それがサラリーマンのはずだ。サラリーマンに夢なんていらねえよ。

    ところが小椋は、面接の中で幾度となく「夢」という言葉を口にし、見えないパンチを繰り出してくる。それでも持ち前の猜疑心で、なんとかガードを固める冨樫。「聞こえのいいことばかり言って、どうせ実際は数字しか見てないんだろ」。しかし「そのために社内でこんな制度を作っています」と具体的な説明を並べられ、膝元がぐらつく。「この人、本気だ……」。それでも、まだ負けてはいない。「きっとこの人はピーターパンなんだ。社長だけがネバーランドで夢を語って空回りしてるんだ」。ところが、社員やミーティングの様子を見学しても、本当にみんなイキイキしている。KECとして叶えたい夢に、一人ひとりの夢を重ね、「やるべき」と「やりたい」と「やれる」を一致させようとしていた。

  • 冨樫さんが喜んでいる姿を
    見られて嬉しいです

    とは言え、三つ子の魂百まで。自信家で野心家な性格が、そう簡単に変わるものではない。部下からの電話を「何を言ってるのか分からない」と3秒で切るなどしょっちゅうだったし、会議で強い言葉をぶつけて泣かせることもあった。

    だからだろう。数字上の成果はきちんと出していたが、チームの雰囲気は最悪だ。人間関係の軋轢もあったし、辞めていく人間もいた。冨樫はこう振り返る。「仲間との繋がりを、心ではなく、業務への責任感だけで作っていたんです。あくまでミッションを果たすためだけに一緒にいる関係性と言えばいいでしょうか。結局はまだ、『やりたい』ではなく『やるべき』だけで仕事をしていたんですよね」。

    中でもよく覚えているのは、社内の表彰でチームが「社長賞」を受賞したときのことである。最高に嬉しかったが、同時に部下たちの言葉に叩きのめされた。「冨樫さんが喜んでいる姿を見られて良かったです」。みんなで頑張ってきたつもりだったのに、みんなで喜べると思ったのに、そうではなかったのだ。「どれだけ成果が出ても、あなたを仲間として信頼していませんよ」と言われているような気がした。初めての挫折と言ってもいいくらい、抉られる経験だった。

  • 気付きは、一人ではできない。
    だから僕は「作られた」

    だが、「一緒に喜びたかった」という感情があったこと自体、本当は何かが変わり始めていたのだろう。匂い立つ花々の中にいれば、その香りは体に染み入るもの。冨樫を変えたもの、それもまた、KECやMirizの仲間たちだった。

    前職時代は、注意やアドバイスをくれる人など誰もいなかった。「でも、小椋さんは何かにつけ、指摘し続けてくれたんですよね。もっと部下と向き合ったほうがいいよとか。当時は理解できませんでしたが、そういう声掛けと自分の限界点とが重なり合って、後になってすべてが『ああ、こういうことだったのか』と」。夢を語ることの理由も、部下たちの言葉もすべてが同じ場所に帰結して行く中で「気付きは一人ではできない、ってことに気付きました」と語る冨樫。「つまり、小椋や仲間やKECマインドによって『作られた人間』、それが今の僕なんです」。

    それからだ。その高い能力のベクトルが変わったのは。自分の力を誇示するためだったのが、お客様や仲間たちと「一緒に喜ぶ」ためにどう使うかを考えるようになった。自分の弱みもさらけ出せるようになったし、部下たちの声にもしっかり耳を傾けるようにもなった。人との関係を上下や勝ち負けで判断し、「私と私以外」という考え方しか知らなかった男が、「We」の概念を知ったのだ。ここまで長かったが、こうして冨樫はようやくKECの一員となれた。

    やはり本当は、完璧な人間などいないのかもしれない。だが、それでいい。それがいい。だから人間は、人生の物語は面白いのだ。