PROFILE

1980年8月1日生まれ。
大学時代はバックパッカーとしてアフリカやインドなど世界の発展途上国を旅する。
株式会社毎日コミュニケーションズ(現・株式会社マイナビ)にて中小企業の経営者に採用・教育・組織風土分析などのコンサルティング活動を行ったのち、2007年に父親が経営する株式会社ケーイーシーに入社。
新卒採用を軸にした組織改革・理念の浸透に携わり、2012年、先代社長の死去に伴って代表取締役に就任。
趣味は、素潜り・アウトドア・料理・バックパック・沖縄旅行

STORY〜エデュテイメントの誕生〜

四面楚歌のスタート

株式会社ケーイーシーは、現代表・小椋義則の亡父が40年前に創業した塾でした。

学力一辺倒の詰め込みではなく、人として大切な思いやりや自立心を育むために。『人間大事の教育』を理念に掲げたその小さな塾は、そこに共感した想いある社員たちによって支えられ、着実にその歩を進めてきたのです。

しかし組織が大きくなるにつれて、ケーイーシーの理念もいつしか言葉だけが一人歩きし、社員一人ひとりが考える『人間大事の教育』にずれが生じていたのです。

小椋が入社したのはちょうど組織に大きなひずみが生じてしまいそうな時でした。

当時の小椋も、この一体感の薄まりには強い危機感を抱いていました。
組織がバラバラな今だからこそ、もう一度強く理念を再共有し、仲間との結束を固めつつ改革を進めねばならないと考えたのです。ところが……

待っていたのは、反発と孤立。焦りが強引さにつながっていたのかもしれません。「理念?言われなくても分かっている」「塾の運営は今でもうまくいっている。なぜ改革する必要があるのか」という声が次々にあがりました。

ましてや先代を支えてきたベテラン社員たちからすれば、小椋は2代目候補の若僧。生意気に感じた人もいたでしょう。やがて社内の空気は澱み、常にピリピリとした空気が流れるようになり、そしてついに組織のひずみが一気に破裂。

ある教室で独立騒ぎが・・・
社員が集団離脱し当塾のすぐ近くに新塾を立ち上げ、
大量の生徒が独立騒ぎを起こした塾に移籍しました。

本気のサークル集団

その状況下、会社はたちまち経営の危機に瀕します。
毎日、保護者様から苦情の電話が鳴りやまず、社員は休日返上となり、授業は代講の嵐に。
あまりの大変さに、追い打ちをかけるように退職者が出てきました。

そんな状況下で投げ出したい気持ちが無かったわけではありません。
しかし今でも小椋はこう考えます。
「ピンチの時ほど、そこには大きなチャンスが潜んでいる」

小椋は、「このタイミングは会社を整備するチャンス」とばかりに次々に会社の改革を推し進めます。
まず社内の情報共有と業務の効率化・仕組み化に向けて、情報機器と社内制度を整えていきます。

組織として目指した姿は「本気のサークル集団」。

子どもたちが塾へ通うのが楽しみで仕方ない、しかも楽しいだけでなく、涙が出るほどの感動がある。それを創り出すには、まず自分たちが最高に楽しく、涙が出るほどの感動をこの会社から得られていなくては。

笑い声の響かない、ギスギスした社内の空気。重力に縛られたかのような重苦しい雰囲気。ここにいることを楽しめていない社員たち。そんな会社を変えたい。そう考えたのです。

そんな小椋の原点は、大学・高校・中学時代にまで遡ります。

小椋は中学受験に合格し、進学校の寮に入寮しました。朝から夜までガチガチの勉強生活を送り、クラブ活動に集中できないことがストレスで高校は転校を決意。

高校時代は、全国屈指の練習量を誇る厳しい部活に所属していました。
とにかく量をこなす練習と厳しい上下関係。
創意工夫や自分の強みを活かす発想などなく、ただただタスクをこなすことが目的になり、当然ながらそんな中では入部当初描いていた結果には程遠い状況でした。

「ああ、ほんとイヤだ。早くこの時間が終わらないか・・・」
とにかく、そこにいることが楽しくない。
うまくいかないことを環境のせいにして、周りに言い訳ばかりをしてどんどん自暴自棄になっていました。
いま思えば、高校生時代の僕は当時のケーイーシーの風土にも似たようなところがあったかもしれません。

その反動だったのでしょう。大学に進んだ小椋は、学内イベントの実行委員長を務めるにあたり、それまでとは真逆を行く発想で運営を行いました。とにかく自分たちが楽しいと思うことをやり、新しい発想を実現した人がみんなの前で称えられる。
上下関係を無くし後輩から先輩への敬語も禁止。
『いつもワクワクできることを想像し、みんなで作り上げていく!』
そんな集団であろうとしたのです。

すると何ということか、誰に言われなくてもみんな喜んで寝る間も削って準備に当たり、イベントも大成功。やりきった充実感から、笑いながら泣いている仲間が続出するではありませんか。

頑張ったところで、お金なんてもらえるわけではないのに。適当にダラダラ手を抜こうと思えばできたのに。誰ひとりそれをしませんでした。きっと、魂の最深部が震えるような楽しさがそこにあったからでしょう。

そして、ずっと焼き付いていたその感激が、小椋を駆り立てます。「ケーイーシーを、あのときのような楽しみながら本気で夢に向かう集団にしたい!」と。

ひとことで言えば
「本気のサークル集団」
を作りたい!

毎日が文化祭

そんな想いを胸に、来る日も来る日もしつこいほどに理念を説き、本気のサークル集団を目指し、社員たちと正面から語り、行動で示し続ける日々。同時に、社員のベクトルを揃えるために、『人間大事の教育』という理念を具現化する、『10年・20年先にも続く自信を育てる』という教育コンセプトを定め、一体感を高めていったのです。

そんな想いが届いたのか、ついに社内の空気が変わり始めます。「小椋さんを信じてみよう!」と腹をくくる社員たちが現れはじめたのです。その小さくも強い逆流は、やがて川全体の流れを変える大きなうねりへ。

「こんなことをやってみてはどうだろう?」
「おっ、面白そう!それならこんなのもアリじゃない!?」
「よし、じゃあ手配は私に任せといて!」

社員からも次々にアイデアが出るようになり、実行に移されていきます。本気のサークル集団の産声が、大きく響き渡った瞬間でした。

当時を振り返って、小椋は言います。

「文化祭前の1週間、教室を包み込んだあの空気を思い出して欲しい。言葉にできないあの非日常感を。最高の文化祭を創るために、みんながワクワク・ドキドキして、団結していて、毎日教室に来るのが楽しみで……そんな教室の雰囲気が、ずっと続いているような会社にしたいなって。毎日が文化祭の1週間前で、文化祭が終われば、またすぐに次の文化祭が待っているような、そんな会社に」。

エデュテイメントの誕生

小椋が代表になって、社内の一体感が増してからは、会社の業績は右肩上がりになりました。
そして2016年、子どもたちの10年・20年先にも続く自信を育てるため新しく掲げたのが『エデュテイメント』という考え方。教育(Education)とエンターテイメント(Entertainment)を掛け合わせた造語です。

こうして生まれた「エデュテイメント」という名の太陽は、まぶしく周囲を照らします。その楽しげな光に誘われるかのように新たな仲間たちが次々と集い、より大きな光となり、輝いてはさらに仲間を増やし……その積み重ねが、いまあなたの目に映るケーイーシーです。無限の広がりを見せるエデュテイメントの光です。

もし、あなたがその光に心地よさを感じたなら。あなただけのエデュテイメントを体感したいなら。子どもたちに届けたいなら。あなたもきっとその”光”に、最強の“エデュテイナー”になれるはずです。

あなたには「光」が見えますか?湧き上がる心の声が聞こえますか?私たちと共に、次なるエデュテイメントのストーリーを紡いでみませんか。