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リーダーを知る

Kazushi Okamoto

ただ、目の前の一人の幸福を。
「社会を変える」ってそういうこと

株式会社ケーイーシー 取締役社長岡本 一志

  • 少年は、
    他人を信じることをやめた

    少年は、その心にカギをかけた。教師から喫煙の濡れ衣を着せられたこともあれば、仲の良い友達から恋人がいじめられたこともある。何かにつけてぜんぶ「お前が悪い」と言われた。

    たぶん、悪目立ちする子どもだったのだと思う。体は大きく、目つきは悪く、坊主頭。一匹狼気質。それでいて、学業成績は良い。そんな自分が好きだったし、「人と違っていてこそ僕だ」という気持ちが自我を支えていた部分もあった。しかし、そうした周囲からの仕打ちは、幼い心が「他人を信じる」ことをやめるには十分な理由だったろう。

    ところが、やがて少年は大人になりこう語る。「KECの仲間をめっちゃ信頼してます」。岡本一志、31歳。2025年4月より、株式会社ケーイーシー取締役社長。2017年に新卒入社し、現KECホールディングス代表の小椋から後継者指名を受ける形で、わずか8年でここまで駆け上がってきた。その原動力となったもの、そして閉ざされた心のドアを開いたものとは何だったのか。その半生を追ってみたい。

  • せめて、自分の周りにいる
    人たちだけでも笑顔にしたい

    両親は真面目な公務員で、息子には医師か薬剤師になることを望んだ。それに反発する気持ちもあったのかもしれない。進学校に通いながらもボクシングに精を出した。一方で育ててくれた両親への感謝はあり「親が納得するところへ」という理由だけで、大阪大学基礎工学部へ進む。

    しかし、そんな動機だからか、高度な研究にもあまり熱が入らない。イノベーティブな研究活動で世界に革新をもたらすことよりも、自分の周りにいるわずかな「信じられる人」が笑顔になることのほうが大事だと思っていた。そしてその感覚は、基本的に今でもあまり変わっていない。

  • 自分がその道に進まなくても

    閉ざされた岡本の心に最初の風穴を開けてくれたのは、小学生時代から通っていた地元の塾の先生たちだ。純粋にカッコ良くて「あんなふうになりたい」と憧れさせてくれる大人である。「いつか僕がこの近くに『岡本塾』を作って、この塾に勝ったるねん」などと減らず口を叩いていたが、それも互いに笑い飛ばせる関係だった。これが教育に関心を抱いた原点だったと思う。

    さらに高校生になったころ、中学時代のヤンチャ仲間がふとこぼした言葉が忘れられない。「あのとき、勉強も頑張ってるお前たちのことを内心でバカにしてた。何を本気になってんだよって。でも今なら分かる。俺も勉強しとけば良かったって後悔してる」。確かに、子どもにどれだけ勉強の大切さや進路選択の重要性を説いても、なかなか伝わらないものだ。親が敷いたレールや、安易な道の上を歩こうとするかもしれない。でも、成長してからそれを軌道修正するのはイバラの道だ。

    それならもし、子どものころに夢を応援してくれる大人がいたら、どれだけ違うだろう。強い自我を持ちながらも、それが周囲に受け入れられなかった自分。そんな自分なら、その応援ができるんじゃないかと思った。

    自分自身の進路についても真面目に考えたことがある。「僕は数学が得意だから、大学へ行くなら理系だろう。だけど、医師にも薬剤師にも研究職にも興味がない。でも、『その道に進んで頑張りたい』と思える子どもたちの応援ならできるかもしれない。あのとき、『この塾に勝つ』と言った僕を笑って支えてくれた、先生たちのように。『勉強しとけば良かった』という、友人のような後悔を生まないように」。

  • 「誰かのために」なんて
    立派なものじゃない。
    ただ「一緒に頑張りたい」だけ

    ただ一緒に頑張り、ただ一緒に喜びたい

    大学には一浪して進学したが、予備校で何人かの“クソみたいなやつら”と出会ったと言う岡本。授業もまともに受けずに「ホストになる」と言っているやつ。パチンコ狂のやつ。まあロクでもない受験生ばかりだったが、不思議とウマが合い、いつもつるんでいた。朝のマクドナルドにたむろしては、問題集を開いた時間は今でも良い思い出だ。

    正直、そんなことはしなくても岡本自身の受験勉強は順調だった。それでも一緒に勉強したのは、「そうしたい」と思ったからだ。それがどういう感情なのか今でもうまく言語化できないが「こいつらと一緒に合格したいな、夢や目標を体現してみたいなと思ったんです」と言う。つまり、仲間たちのために何かをやりたいとか、喜ばせてやりたいと思ったわけではない。「みんなで一緒に頑張り、喜び合いたい」というシンプルな気持ちだった。

    現在の岡本が生徒に対して抱く気持ちも、ベースは同じである。「俺が導いてやる」とか「成績を上げてやる」というのは何だか違う。ただ、「一緒に頑張り、一緒に喜びたい」のである。

  • 何者でもない学生と、
    本気でバカ話を楽しむ幹部

    KEC入社に当たっては、正直なところ当時のKECという会社に大きな興味を持つことはできなかった。周囲は有名外資企業や総合商社を目指す者が多く、それらと比べれば会社の規模も待遇も雲泥の差だったからだ。

    それでも入社を決意できたのは、一つはやはり「教育」への関心。そして「個性」という言葉すら陳腐に感じるほどの、代表・小椋の人柄や彼が掲げた「教育を変えたい」という壮大な夢物語、そしてKECの社風である。「インターン後に小椋や幹部から旅行に誘われたんですが、そのときの話が、もう本当にアホな内容ばっかりで」と笑う岡本。「社長とか役員とかの“偉い人”なのに、こんな何者でもない学生と同じ目線でバカ話ができるこの人たちの感覚。何だか、それがすごく居心地が良かったと言うか、この輪に入りたいと思わされたと言うか」。

          

    一人で歩いてきたはずの道に残された、たくさんの足跡

    最後に決定打となったのが、入社2年目のキックオフミーティングだ。将来のリーダー候補として、社歴も年齢も部署も違う仲間をまとめる形でプロジェクトを任されたが、気負いすぎてしまったのか見事にチームはバラバラ。離脱者さえ出た。岡本自身も「社会経験も浅いのに、偉そうに夢ばかり語っていた」と自嘲する。プロジェクトは成功を収めたものの、それはメンバーが優秀だったからで、まったく「やり切った感」もなかった。

          

    ところが、そんな悶々を抱えた岡本を、学生講師たちは笑顔で称えてくれた。サプライズのねぎらいだ。「おつかれさま、リーダー!」。たったそれだけの一言が、自分を追い詰め、縛っていた鎖をジャラジャラと崩れ落ちさせる。もう「号泣」と言って差し支えないだろう。声をあげて泣いた。止められなかった。「大人になって、こんなに涙が出ることなんてあるのか」――ずっと一匹狼で生きてきた岡本にとってそれは、「生きる意味」が音を立てて組み替わるようなイニシエーション。「チーム」とは、「仲間」とは何か、その中で働く喜びとは何か、真理の戸口に立てた瞬間だった。

          

    あれだけ心を閉ざし、人と群れることを嫌った岡本の心を動かしたもの。皮肉にもそれは結局「人」だった。塾の恩師であり、悪友たちであり、小椋であり、KECの仲間たちだったのだ。人を信じられず歩いてきたはずの道――しかし振り返れば、そこには誰かの、そしてたくさんの足跡が重なっていた。

  • 水を撒くなら、高いところから

    だから、自分も目の前にいる生徒や保護者や社員のために何かしてあげたい、一緒に喜びたいと思う。あのときの強烈な体験をみんなにも味わって欲しい。自分が「与えてもらった人」だからこそ、今度は自分も誰かに何かを与えられる人間になりたいのだ。「例えば、水を撒くとして」と、独特の例えで社長業への意気込みを語る岡本。「地面から水撒きをするのって、範囲は限られてますよね。でも、椅子に上がって一段上から撒けば、その範囲は広がるはず。もっと高い位置からなら、もっと範囲も広がる。社長になるのって、そういうことだと思っています」。

    自分が功を為したいわけではない。自己犠牲なんて大仰なものでもない。目の前の人が幸せになることが1番大事だと今でも思う。でも椅子や高台に上がれば、「自分の世界」の半径は広がる。「自分にとって大切な目の前の人」も増える。それは影響力の高まりそのものであり、結果として社会は変わるはずだ。今ならそれが分かる。

          

    常識が過去のものとなり、働き方も学び方もダイナミックに変わっていく世界の中で、より良く生きる人を育てる。教育に新しい価値基準をもたらす。「そんな世界を創りたい」という思いが、自分を発火点として「次」の人たちに燃え広がっていけばいいと思っている。「熱」は高いところから低いところへ伝播するものなのだから。

    「僕が死ぬとき、家族とか信頼できる仲間とか、そういう人たちが数人だけでも周りにいてくれたら、こんなに幸せなことはないなって。そしてその人たちの人生の幸福に、自分が少しでも関与できたら……って思うんですよ。僕が死んだあと、周りの人たちがみんな幸せになる。それが僕の人生というストーリーの、ハッピーエンドだと思うんです」。

    「貢献」ではなく「関与」。その言い回しに、岡本という人間のすべてが凝縮されている。岡本体制の新生・KECは、あなたの人生にどんな心躍る「関与」をもたらしてくれるだろうか。