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Leaders

リーダーを知る

Yoshinori Ogura

すべての主人公たちよ、
さあ、ステージに立て!

株式会社ケーイーシー 代表取締役小椋 義則

  • 空気が読めず、
    友達がいなかった子ども時代

    「どうして僕には親友がいないんだろう……」。意外に思うかもしれないが、少年時代の小椋は孤独だった。昼食を食べるのも、学校内を移動するときも、たいてい一人。みんなはそれぞれ仲良しグループがあるのに、自分だけそのどこにも入れない。

    別にシャイだったわけでも、無視されていたわけでもない。むしろ明るかったし、少年らしい無邪気さもあった。なのに「親友」と呼べる人も、呼んでくれる人もいない。友達が向こうから寄って来てくれるわけでもなく、自分が寄って行けばその分友達が引いていく。常に一定距離を保たれて、それが永遠に埋まらない。「浮いていた」というのが、最もぴったりくる表現だろう。「さびしいな……」。いつもそんな思いを胸に抱えていた。

    実は小椋は、「空気が読めないタイプ」だった。ちょっと度を越してふざけてしまうところがあって、それで煙たがられてることに気付かず、さらにふざけ続ける。周りからすれば、面倒な存在だったのだ。大人になった小椋は、そう苦笑しながら自分を振り返る。

    ただ、その空気の読めなさは、同時に強い正義感も形成していく。中学生のころには、学食の行列に横入りする先輩に「後ろに並べや!」と臆することなく咎める若者になっていた。やがてKECに入社し、激しい反発や造反を招きながら大改革を断行したのも、「敬愛する父が創り、自分も生徒として学んだ大好きなKECが、このままではダメになる!」という一心からだった。人として正しくあろうとするKECマインドも、現代教育に疑問を抱き、新たな教育価値を創造しようとしているのも、すべてこの正義感に由来していると言っていい。

  • 空前絶後、前代未聞の、
    極上エンターテインメント

    サーカス団のリーダーは団長だが、舞台でスポットライトを浴びるのは団員たちだ。オーケストラのリーダーは指揮者だが、その音の共演で心を揺さぶるのは演奏者たちだ。プロ野球チームのリーダーは監督だが、磨かれた高い技術で熱狂の渦に飲み込むのは選手たちだ。

    KEC代表としての小椋義則のリーダー像も、まさにそれ。一筋縄ではいかない個性あふれるプレイヤーたちを結集させ、彼らに最高のステージを与えたい。そのポテンシャルを極限まで輝かせ、夢を叶えるステップを届けたい。そこにはきっと、涙も笑いも、怒りも悔しさも、愛も友情も、ときには恐怖や不安だってあるだろう。その人生ドラマの集合体が、まだ誰も見たことのない、めくるめく空前絶後のショーを創るのだ。

    このステージに立つ者は、誰もが主人公。主人公しかいない前代未聞のエンターテインメント、それがKECだと小椋は確信している。言わば、本気で夢見る大人。モチベーターにしてエンターテイナー。そんな希代の興行師は、いかにして作られたのだろうか。

  • 次々と去っていく仲間と、
    泣きながら目覚める悪夢

    しかしその正義感も、先鋭化しすぎれば時として独善となる。いくら正しくても、人の心は離れていくものだ。それをイヤというほど味わったのが、大学生ときの事件だ。

    学内イベントの実行委員会に入り、小椋は委員長を務める。人を楽しませることが大好きな生来のサービス精神と、有り余るバイタリティで、斬新な企画を次々と作っては実行に移していった。やればやるほど楽しくて、気持ちは高揚し、とめどなくアイデアが湧き出てくる。まるで何かが憑依したかのように、トランス状態で走り続けた。

    まあ、そこまではいい。サークル活動に熱中する、大学生らしい青春の1ページだ。だが、小椋は道を誤った。「周りの仲間も自分と同じくらいの熱量で動いて当然」と思ってしまったのだ。あれをやれ、これをやれ、なんでやらないんだ、どうしてできないんだ、やる気がないならやめちまえ。そんな、無垢がゆえに無頓着な情熱に、仲間は一人、また一人と小椋のもとを去って行く。「ならもう、ぜんぶオグ(小椋)が自分でやれば? 俺らがいる意味ないっしょ?」。気付けば、本当に信頼していたメンバーも含め、委員会幹部の半分が辞めていた。

    今でも、小椋は同じシーンを何度も夢に見る。仲間が去り、人が足りなくなってイベントの企画はまったく進まない。数少ない残ったメンバーも、誰一人動いてくれない。話さえ聞いてくれない。「もうダメだ、死んで詫びよう……」。涙をこぼし、肩を落として夜の街をとぼとぼ歩く。深い淵を見下ろす。足をかけて、身を乗り出す。いつもそこで、号泣しながら目を覚ますのだ。それほど、この事件は小椋にとって記憶の谷間に潜む痛みとなっている。

  • 動機とステージさえあれば、
    人は自ら輝きだす

    だが、小椋はここで心底悔い改めることができた。仲間たちに頭を下げ、「悪いところは全部直す。だから、俺の良くなかった部分を忌憚なく指摘してくれ」と許しを乞うたのだ。そこで返ってきたのは、容赦ない言葉のナイフの数々。心は激しく抉られたが、その一つひとつに耳を傾け、謝罪し、改善を約束した。

    それからというもの、小椋は「自分が、自分が」と考えないようになった。意思や意見を自由に主張できる場づくりを心掛け、みんながやりたいと思うことを、みんなで形にするようにした。意思決定や行動の主体を、広く全員に受け渡したのだ。その結果、誰もが能動的になり、楽しみながら活動し、絆は深まり、イベントも大成功。かつて自分が周囲に課していた動きを求めるのをやめたことで、逆に期待通り、いや期待以上の動きを見せてくれたのだった。

    そこで小椋は、自分の中に潜んでいたものに気付く。「何のかんのと、僕は他人に期待をしていなかったんだと思います。『どうせこいつら、言ってもやらないだろ』って。人が持つ可能性を、僕が勝手に否定してたんですよ」。

    以後は憑き物が落ちたように、人はそれぞれ違うんだ、みんながそれぞれ良さを持っているんだと思えるようになった。何もかも自分でやろうとしなくていい、やらせようとしなくていい。動機とステージさえあれば、人は自ら輝く発火力を持っているんだ! 興行師・小椋の、そしてKECマインドの産声が、響き渡った瞬間だった。

  • 足りないものを補い合うから、
    最高のショーができる

    この痛みを伴うイニシエーションは、もう一つ、小椋に大きな気付きを与えてくれた。「一人では何もできない」ということだ。実行委員会は、自分でやろうとしたがゆえに崩壊しかけた。もう2度と、同じ過ちは繰り返さない。信じ、手放し、委ねるのが自分の仕事だ。

    社長としてKECを引き継ぎ、改革を行ったときも当然痛みは伴った。誠意をもって接しても理念や思いが共有できず、去って行く者もいた。社内の空気が、身動きできないほど澱んだこともあった。しかしそれでも小椋は、もう決して押さえつけたり強権的に命令に従わせたりしようとはしない。新しく目指すKECというステージで、一人ひとりに何を期待し、個性をどう生かすか、どうスポットライトを当てるかを考えながら、対話を重ねた。やがて、みんなの中に「あれ? もしかして、やればできるかも?」が生まれ始めたとき、改革の歯車は一気に回り始めた。

    小椋はこう考えている。自分の個性や強みを生かすことはもちろん大事。でも、パズルのピースが埋まるように、足りないものを仲間と補い合えるからこそ、組織が成り立つんだ。全員が主人公の、最高のショーが実現できるんだ。

    さあ、開演のブザーは鳴った。幕はゆっくりと上がっていく。心躍るBGMと共に、まばゆいスポットライトがステージを照らしている。主人公たちよ、準備はいいか?